鏡像を愛す
「左でフォークなんて使えたか」
向かい合わせで食事をとっていたドイツがふいに、ぽつりと。意外、とでも言いたげな声音で呟きを落とした。
「あ? なんつった今」
それを聞き逃したプロイセンが咀嚼しながら答えてみると、すぐに「口に物を入れながら喋るな、それに音を立てて食べるんじゃない」と生真面目な注意が返る。続けて喋ればもっときつい言葉が付け加えられると知っているから、プロイセンはとりあえず口をつぐんで、中に残るカルトフェル・プファーの処理に専念した。
「兄さん、左利きだったのか」
兄が口内を一旦空にしたのを見届けてから、ドイツはようやく同じ問いを繰り出す。
「……あー…」
次はザウアークラウトを口に詰め込みつつ、プロイセンが気の抜けた声を上げた。再度叱責を受ける前に含んだ料理を全てきちんと飲み込んで、フォークの先をドイツに指すように向ける。
「だって俺、おまえの鏡だもん」
さらりと、事も無げに言ってのける。すると、元から幅の狭いドイツの眉間がより中央に寄った。フォークで人を指すのはマナー違反だの云々と怒っているのではなく、要領を得ない事象に出会って考え込んでいるときの表情だった。超常現象などもまずは科学的な面から調べ上げようとする性格では、プロイセンの発言の意味が分からないのだろう。わざわざフォークとナイフを皿の上に置いて、疑問符を浮かべるドイツが唸りながら首をひねった。
「……『鏡』?」
「おう。鏡だ」
プロイセンはすぐさま唇を引き上げるとともに、首肯する。ドイツの胸中にわだかまる疑問は未だ解決を見ないようだ。一層低くなった声が、晴れない謎に対する苛立ちを伝えてくる。
「それは、どういう……」
「だからそのまんまの意味だよ」
重ねて問おうとするのを遮って、プロイセンはドイツの鼻先にフォークを突き付けた。答えを求めるドイツをこのまま放っておけば、その憤りをどんな形で発散されるか分かったものではないので、そろそろ答えを与えてやらねばなるまい。ますます厳めしい表情を浮かべる弟に構わず、兄はあのな、と切り出した。
「ヴェスト、お前の目の色は?」
「は……?」
「いいから。目の色は?」
「青、だが…それがど…」
「髪の色は」
「見て分かるだろうが……金だ」
どんな時でも、問われれば律儀に答えるのが生真面目な弟らしい。ニタニタと人を小馬鹿にするような笑みを向けられても、ドイツは疑問符以外を見せなかった。自身が求める答えを、プロイセンがいずれはもたらしてくれるものと思っているからだ。
「利き腕は」
「……右、だが」
しかし、一見関係のない、そして今さら分かりきった質問を繰り返すプロイセンに、ドイツの眉間の皺が増えるのも無理はない。今は足の裏に微かに伝わる貧乏揺すりが、いつ、テーブル上の食事に被害をもたらす大地震に変わるとも知れない。弟の顔に向けたフォークをぴっ、と揺らして、プロイセンは「すなわち」と咳払いをひとつ。
「お前のブロンドも、碧眼も、俺にはない色だろ」
言い募る暇をドイツに与えず、血色が語る。
「ほら、俺らって東と西だし。お前は右利き、俺は左。目の色も青と赤で、髪はゴールドにプラチナ。認めたくねーけど、俺に比べてお前は無駄にムキムキだしな。分かるか、ちょうど逆になってんだよ。だから鏡」
さもありなん、とプロイセンは己と弟との相違点を並べた。それだけを告げられても、弟としては具体的に「鏡とはどういう意味なのか」を説明してもらわねばすっきりしない。唸るようなバリトンとともにドイツが挙手した。
「…だが、南北に別れたイタリアたちには『鏡』だとか…そのようなことはなさそう……だが…?」
「俺らが特別なんじゃねえの? ていうか光栄に思えよ。お前の鏡は、このプロイセン様なんだぜ」
確かに、プロイセンという存在は少々特殊なものではあるのだ。ドイツもそれはよく知っていたが、眉間は依然と緩まることを知らない。
「よく分からん」
んな真面目に考えるもんでもねーんだよ。食事も途中のまま、なおも真剣に腕を組む弟をプロイセンは笑い飛ばした。さあこの話はこれで終い、とばかりにフォークとナイフを持ち直す。中断したせいで、せっかくの料理もビールも見るからに温くなっていた。
プロイセンがカルトフェルをぽいぽい口内に放り込んでいると、独り言のようなささやかさでドイツが呟いた。
「……『鏡』、ということは、俺がサディストならあなたはマゾヒストなのか」
「は? 俺もどっちかっつーと、S寄りだろ」
「いや、違うな」
料理をたらふく口に詰め込んだまま答えても、ドイツは何のお咎めも寄越さない。それどころか、サド、マゾ、と何やら夕食時には相応しくない単語を連呼する。ていうかヴェスト、目が怖いよ。兄ちゃんの気のせい?
「マゾだろう。ああ、あなたはマゾなんだ」
「お前なに言って……」
「先の『鏡』説が他の箇所にも通用するものか、確かめる必要があるな」
「え、あ、おま、」
「付き合ってくれるな? 兄さん」
盛りやがったこいつ。なんで!
顔を引きつらせたプロイセンとは、裏腹に。ドイツはニタリ、と先の兄を真似た人を食ったような笑みに、こちらは獲物を捕らえる獣の鋭さも加えた表情を披露した。「付き合ってくれるな?」とは殊勝な言葉だが、どうせ、食事が終われば自慢の筋肉を駆使してビール樽を運ぶようにベッドに連れて行かれ、朝まで延々弄くり回されることになるのだ。下手に出たと見せかけて、かなり威圧的な眼差しにはナイン、と叫んでも効きはしない。それに、こんな時ばかり人を「兄さん」と呼ぶのもやめてほしい。
結局のところ、プロイセンは。もう疑問を疑問と思っていないドイツの、ただのこじつけでしかない性欲発散に体よく付き合わされることになるらしかった。
(触れるのに、何が虚ろと言うのだ)