ディアマイプリンセス

ドイツがにょたりあです。苦手な方はご注意ください
オッケーなかたのみどうぞ






























 

ディアマイプリンセス

「兄さん」
 女にしては低めの、涼やかな声が己を呼んだ。プロイセンは夢中になっていた雑誌のグラビアから目線だけを上げて、呼び掛けに応える。
「どうした?」
 目が合ってすぐに、赤から蒼が逸らされる。プロイセンの手にする雑誌のタイトルに検討をつけたのだろう。少し気まずそうに視線を泳がせた彼の妹がおずおずと切り出した。
「ち、ちょっと、相談なのだけれど」
 どこか上擦った声音は普段落ち着いた空気を纏うドイツには珍しいもので、プロイセンはきょと、と目と口を丸くした。いつもなら己の力だけで何もかもを解決しようとする妹にこうして頼られれば、兄の唇は自然と笑みの形を作り上げる。嬉しさに声も緩んだ。
「ああ。聞いてやるよ、なんでも言ってみろ」
 そうなれば巻頭ページのグラビアへの興味も途端に失せ、プロイセンはローテーブルの上へ雑誌を放った。ばさり、と粗悪な音を立てて、安っぽい紙にプリントされた見開きの女が天井を向く。豊満なバストを恥じらいもなく誌面一杯に晒したその女の、嘘くさい笑顔を目の当たりにして、同性であるドイツのほうが余計に落ち着きをなくしていた。できるだけそちらを見ないようにする姿がいじらしい。
「こ、ここでは少し話しにくい……、だから…私の部屋まで、来てほしい」


 ドイツの後に付いて廊下を進み、彼女の部屋に招かれる。ドアをくぐると、ふわり、やわらかな香りが鼻腔を付いて、プロイセンは聡い妹には知られぬようこっそり頬を溶かした。
 ベビーピンクを基調とした壁紙とシンプルに見えて凝った細工の施されたファンシーなファブリックたち、窓に掛かるは甘いレースのカーテン。姿見に見事な飾り枠の付いたドレッサーには可愛らしいメイク道具の小瓶やコンパクトがきっちりと並ぶ。横に長く背は低めの本棚と衣装棚の上に大小さまざまなテディベアが座っており、つぶらなひとみでこちらをじっと見つめていた。アジアの友人からもらった口のないネコのぬいぐるみ――かつて盟友であった枢軸国の少女たちを模したというそれ――が三つ、天蓋付きのベッドに仲良く並んでいる。
 どちらかといえば機能的で無駄な装飾をなくしたファブリックを好みそうなドイツは、パステルカラーやフリル、レースといった女の子らしく繊細なものが好きだった。それでいて外では、お姫さま趣味をひた隠しにしようとする。そのせいか、彼女の私室に入ったことのある者は同性のハンガリーやイタリア、日本、異性だと自分とオーストリアくらいしかいない。外で見せる凛と胸を張る大人びた姿、家で見せる少女らしくかわいらしい姿、プロイセンはどちらのドイツも好いている。だから、妹が何を恥じ入って頑ななまでに男っぽく振る舞うのか、理解できなかった。
 しばらく見ないうちに室内に新たに迎えられたやつがいるだろうか、と、兄がテディベアたちに視線を返していると、ドイツが口を開いた。決意と緊張とが滲み出た声がプロイセンの耳をなぞる。
「……今度、アメリカが大きなパーティーをやるのは知っている?」
「あ。あー…だったな」
 あからさまに今思い出しました、と言わんばかりの返答をしてしまって、プロイセンは苦虫を噛み潰す。ドイツには呆れを含んだ息を吐かれた。
「兄さん、忘れていただろう。今度のは全世界参加だから、って言ったのに」
「忘れてねえ。ちゃんと覚えてました」
「嘘はよくない」
「……で?それがどうしたんだよ」
 子どものように小首を傾げる兄に、妹は肩をすくめてみせる。己の呼び出された理由とそのパーティーとやらに何の関係があるのか、見当のつかないプロイセンの頭には疑問符が浮かぶばかりだ。ドイツは少し迷うような指で、シーツの上に広げられたシフォンやらチュールレースといった、薄手の布地を示した。
「それで、パーティーに合わせて、その……ドレスを新調するか迷って、いて…」
 敷かれたラグは分厚いコンバットブーツの靴底が床にぶつかる音をしっかり吸う。静かに自分のベッドに歩み寄ったドイツは、カラフルな布地のなかから二色をすくい上げた。
「こんな風なのに、したいのだけれど……」
 言って、二色をプロイセンに見えるよう並べて掲げ持つ。ひとつは淡いグリーンをしたワンピースタイプのもので、腰に巻き付けた同系色のリボンで纏め上げた、膝丈ほどのイブニングドレス。もうひとつは、背中が大きく開いた、レモンイエローのビスチェドレス。どちらも丸みを帯びたシルエットで、女性の可憐さをより引き立てるような雰囲気を醸している。
 プロイセンはきょと、と目を丸くした。
「新調って、もう買ってるんじゃねえか。どっちがいいか選べってことか?」
「いや、これはイタリアに借りて来たドレス。サイズが合わないから、試着は出来ないのだけれども」
「あー、イタリアちゃんの服ね」
 なるほど、ドイツと比べれば華奢なイタリアならば、この二着もすんなりと合わせることができるだろう。イタリアはかわいいし、この色たちもきっと似合う。ただ、胸も尻も大きい女が好みなプロイセンとしては、ボディのメリハリに物足りなさを感じてしまうが。
「そう。私には少し……その、」
「小さいんだろ?」
 はっきりと言い切ってしまったプロイセンにドイツが縮こまる。恥じ入るような、そして恨めしげな眼差しを受けても兄は平気そうな顔でいた。借り物にも見えないでもないドレスに着られているドレスの持ち主の可愛らしい姿とは違って、我が妹は――こみ上げる笑みを堪えないで、プロイセンは緩みきった口元から歯を見せた。
「しょうがねえよ。俺のヴェストは、スタイルいいもんなあ」
「……! ち、違う、私はごついから…」
 こうして思ったままを言っても、クールビューティーとプロイセンが誉めちぎる顔立ちをいつも泣きそうに歪めてしまう妹。兄はその度に不思議に思っていた。
 出るところは出て、締まるところはきちんと締まっている。生まれ持った素材のよさはもちろん、日々の鍛練の成果もあって、メリハリのある健康的なプロポーションを持つドイツに憧れない女はいないと思う。実際、イタリアは挨拶のハグにかこつけて背後から妹の胸を掴んでいるし、日本などはプロイセンにまで「バストアップする秘訣」を尋ねてきたことがある。そんな、女性が羨む抜群のスタイルを持ち合わせたその上で、ドイツはプロイセンという偉大な兄にも恵まれているのだ。引け目を感じる要素などひとつもない。
 涙目で唇を噛みしめる姿にプロイセンは多少心を痛めつつも、妹を呼び寄せる。覇気なく近付いてきたドイツをドレッサーの姿見の前に立たせて、自身はその後ろから顔だけをひょいと覗かせた。そうして、彼女が手にする二つのパステルカラー、その内のミントグリーンのほうを、体に当てさせる。ドイツは斜め下を見つめたまま、鏡の向こうの自分と視線を交わそうとしない。
「そっちのキイロよりは、こっちのがいいんじゃね? もういっこのもいいとは思うけどな。ほら、兄ちゃんとしてはあんま胸元と背中が開いた服は着てもらいたくないっていうかさー。あ、ていうかあれじゃね? これ、イタリアちゃんとお揃いで作ったらどうだよ? 国旗カラーでさ。おまえはキイロかアカ、イタリアちゃんはこのキミドリのな。なかよしっつー感じで――」
「……嫌だ」
 一気にまくし立てていたプロイセンの声を、ドイツは静かに首を振ることで遮った。
「そんな、お揃いのパステルカラーのドレスなんて、惨めになるだけだ。似合わないって……笑われてしまう」
 ゆるゆると顎が持ち上がる。俯き気味で窺えなかった彼女の表情があらわになった。鏡ごしにその悲しげな蒼と目が合ってしまったプロイセンは、瞬間、言葉に詰まった。
 ドイツが持っているのはパープルや紺などのはっきりした色合いをしたマーメイドラインのドレスばかりだった。今試しに当ててみているような、腰から下がふんわりとしたプリンセスラインのものは一つもない。
 だが、マーメイドだろうがプリンセスだろうが、プロイセンからしてみればドレスはドレス。女が着るものだ。ドレスアップして大人の雰囲気を纏うドイツは文句なしに綺麗だし、贔屓目だとしても全世界一いい女だと思う。
 ただ、兄がいくらそう思おうが彼女の憧れる女性像はまた別物であるのだ。ドイツが思う女の子らしさはセクシーではなくキュートだった。夢見る「キュート路線」な自分の姿と現実の「セクシー路線」な自分にかなりのズレが生じているから。だから、ドイツは己の容姿にこれほどまでにコンプレックスを抱いている。
「なんでそんなこと言うんだよ」
「…自分が一番分かってる」
「おまえはかわいいよ」
「可愛くない」
 喉を引きつらせたドイツは、鏡に映った、自分の肩から生える兄の顔を見ない。胸のせいでワンサイズ以上小さなものを合わせているようでもあるドレスに視線を落としながら、彼女は続けた。
「手も足も顔もごついし、表情は硬いし。胸ばっかり大きくて、邪魔なだけだ。……結局のところ、諦めるしかないんだ。可愛さは、私には不相応で不必要なものだと」
「でも、着たいんだろ」
 はあ。と、聞こえよがしにプロイセンがため息を吐いた。とめどなく溢れていたドイツの弱気な言葉たちが途切れる。
「似合わねえ似合わねえって言うけどさ、試着もしてねえんだからそれって勝手な決め付けだろ。新しいドレス作る気があってどんなんにしたいかももう決めてんのに、なに怖じ気づいてんだ。俺の妹は、やる前からぐだぐだ言うような、イギリスみたいな女じゃないはずだけど?」
「……………」
「着てみたいんだろ」
「……………」
「ヴェスト」
「…………着て、みたい」
 思ったことを好きなようにぶちまけたプロイセンに促されて、ドイツは震えたのだと見紛う動きで頷いた。
「女のファッションは兄ちゃん全然分かんねえけどさあ、」
 その形のいい頭に、ぽん、と兄が手を乗せる。女にしては高身長の妹だが、今は小さくなったように思えた。
「おまえにだったら何でも似合うよ、心配すんな。なんたって、かわいい俺のヴェストだし?」
 にか、と屈託なく笑みを浮かべてやる。一気に頬を染め上げたドイツと、今度はばっちり目が合ったし、逸らされることもなかった。というか、真っ赤に茹だった彼女の視界に兄の姿は映っていないのかもしれない。
「だから、な、何でそんなこと……私はそういうことを、言ってほしいのではなくて、」
「俺が何言ったって、どーせネガティブにしか取らねえだろ。何度でも言ってやるぜ、おまえはかわいい」
 もうやめてくれ、と必死にかぶりを振ってプロイセンの怒涛の言葉から逃れようとする妹は、とてつもなく可愛い。友人や隣人には絶対に見せない、ここにいるのが兄だからこそさらけ出されるドイツの素。誉められて赤くなるなんて、女の子らしいにもほどがある。おまえは姫か。おまえはお姫さまか。
「自信を持てよ、ヴェスト」
 ドイツは自身の魅力に気付いていない。外面をストイックで冷静沈着な女軍人という印象で塗り固めるのがもったいないほど、妹は誰よりも女の子だ。
 あ、でもな。
 プロイセンは思索を巡らす。こんなガーリーなドレスを身に付けてパーティーに参加すれば、ドイツの新たな魅力にやられた男どもが言い寄ってくるに決まっている。フランスとかスペインとか――ロシアやオーストリアも危険かもしれない。この際俺以外の男はみんな敵だ。
 不埒な連中から己のお姫さまをどうやって守るか考えながら、プロイセンはさっきとは違う意味で泣きそうなドイツの頭を、もう一度、撫でた。


(だれよりかわいい)


兄バカなプロイセンが好きです。