空魚は溺れる

現代パラレルです。フレンチキスあり
オッケーなかたのみどうぞ






























 

空魚は溺れる

「キスすらしたことないのかよ」
 はは。振動が耳をくすぐった。それが嘲りを含んだものだったので、プロイセンの気に触った。眉が険しい角度に上がる。気もなく眺めていた本のページをめくる手を止め、ついと視線を上げてみる。優雅に組まれたイギリスの足がからかうように動いた。促されされ見上げた彼の顔は、嫌な感じの笑みをたたえていた。
「悪いかよ」
 不機嫌さを隠さないまま睨み付ければ、ふたたび笑う声。ハスキーがかったこそばゆいテノールが、可笑しくてたまらないといった風の一種の無邪気さをも含んで震えた。質の悪いベッドのスプリングがイギリスの呼吸に合わせてぎしりと音を立てる。見下されていることへの苛立ちが、プロイセンの頭を急速に支配していった。心を落ち着かせるバックミュージックはない。プロイセンもイギリスも静寂を好むところがあったから、2人で部屋にいるときはテレビやコンポの類は滅多に使わなかった。はは。また、あの笑い声が耳をかすめる。
「悪いとは言わねえよ」
 それで本番はどうするんだと思っただけだ。
 鼻から息を吐き出して、肩をすくめてみせる。…こちらの機嫌を損ねようとわざとしているとしか思えない。
「…悪いかよ」
 もういちど、先よりも声を低めて。この上なく不快だ。プロイセンはやや乱暴に本を閉じた。ハードカバーのそれに印刷されているのは長ったらしい英文のタイトル。イギリスの持ち込んだ小難しい小説だった。ワンフレーズさえ頭に残らない、堅苦しい文章が哲学書のようにつらつらと並んでいる。読む気など元よりなかった。
 勝手に上がり込んで、あれこれと文句を付ける。イギリスはいつもそうだ。コーヒーしかないと言えば紅茶の缶を、マグカップに紅茶を淹れてやれば気に入らないとティーセット一式を、次に訪れる際には寄越した。頻度の高い訪問の度にイギリスは何かしらをプロイセンの部屋へ運び入れる。自分の部屋にこだわりがあるわけではないが、内部から彼に侵食されてゆくような心地悪さを感じていた 。例えるならそう、品評会に出され、好機の目に晒され点数を付けられるくすんだ宝石の気持ちのような。お前は何点、不合格。俺が磨いて調教し直してやる。まずは中身からだな、おまえはあまりに空っぽすぎる。自分がなまくらの宝石ならば彼は鑑定人か――ふざけるな。
「相手を満足させられりゃそれでいいだろーがよ」
「ふーん?」
「なんだよ」
「いや、何も?」
「なにが言いたい」
 だが、全ての事象において、イギリスのほうが知識も経験も豊富だった。プロイセンが勝てるものといえば、数えても片手で事足りるぐらいしかない。こと男女の営みに関しては、人づてに聞いたような知識しかなかった。何人と寝たなどの下世話な話をイギリスが自慢気に聞かせるようなことはなかったが、それなりに経験を積んでいるにちがいない。やけにゆっくり、足を組み換える。にやり、 薄い唇がまた皮肉げに歪んだ。
「満足、ね。どうだかな。おまえ、下手だろう」
「…俺が上手いか下手かなんて、お前は知らねーだろーが」
「試してやろうか?」
 ギラギラと、猫の眼がプロイセンを射抜く。こちらの反応を見て楽しんでいる。面白くもない冗談や皮肉を好むイギリスの性分は分かっているが、理解したくはない。嗜虐癖のある彼は時折獰猛な牙を見せることがあった。自分のことばへの返答に窮している相手を、くつくつと笑うのだ。明らかな蔑視をもって。今回もそういうことなのだろう。だから。
「――は、やれるもんならな」
 言ってやった。さすがに躊躇うだろう。何しろ相手である自分は男だ。誰が好んで同性とキスなどしたがる。この話に見切りをつけて、プロイセンは立ち上がった。喉が乾いて仕方ない。キッチンにはまだ、沸かしたばかりの湯が残っているはずだ。ケトルごと取ってきて今度は彼の嫌いなコーヒーを淹れてやる、目の前で。嫌そうに眉をひそめるイギリスを見て、今度は俺が笑ってやろう。そう、思った。
「いいぜ」
「…は?」
「試してやる」
 すっとイギリスが立ち上がる気配がした。まさか。振り返ると、目前に迫ったイギリスの腕がプロイセンの肩を押した。思い切り、力をこめて。
「なにす……」
 ふらついた足元にゆらりと、イギリスの体が割り込んだ。足が絡む。しなやかな腕がふたたび伸ばされる。両肩をだん、と壁に押し付けられた。不意打ちに背が跳ねる。突然起きた振動のせいで、イギリスの持ち込んだ例のカップが毛足の長いラグへ落下するのが彼の肩越しに見えた。確か、こいつのほうは中身がまだたんまり残っていたはずだ。ちくしょう。言葉として出す前に唇を塞がれた。下から食らいつくように、ひどく乱暴な口づけだった。プロイセンは顔を歪める。伸びた舌が、結んだ唇を開こうとうごめく。他人の濡れた肉の感触に、変な声が鼻から抜けた。こじ開けられる。歯列をねっとりと舐められた。心地悪さで緩んだ隙に入り込まれ、口内への更なる侵入を許してしまった。
「ん……ぅッ…」
 遠慮など知らぬイギリスの舌はプロイセンのなかを勝手に犯してゆく。舌を吸い上げ、絡めて、音を立て唾液をすする。先まで干からびていた口内と喉とが、イギリスになぶられてゆくうちに溢れんばかりの唾液をたたえるようになった。意地だけで開けていた眼で、プロイセンは自分の口内を犯す男を見据える。彼もまた、見開いたひとみをこちらに向けていた。そこに宿る情欲のひかり。濡れた 翠いろがこの上なく美しい。ゆるりと弧を描いてみせる余裕に腹が立つ。
「ふ…っ……」
 拒否しようとする声が、意味のないものとして繋がった口内でくぐもって反響する。その音の振動でさえ、プロイセンの頭を痺れさせた。噛んでやろうと立てた歯は自分の舌を痛めるだけだった。滲んだ血の味がイギリスの劣情を煽るようで、より深くまで抉られた。息が荒くなる、唾液が零れる、体の芯が燃える。くちゅり、聞きたくもない濡れた音が自分を追い詰める。両腕の抵抗はすでに押さえ込まれて、逆に壁に強く縫い止められていた。予想外の力に涙が浮く。耐えられず、目を閉じた。ちかちかとスパークする瞼の裏、至近距離に感じたあの鮮烈なみどりが焼き付いて残っていた。限界が近い。力の抜けた膝からくずおれそうになって、掴まれた両腕と背中とで自重を何とか支えた。ず、ず、勝手に腰が落ちて、まるで空気椅子のような体勢になる。それでも支えようと踏んばると、かくかくと、役に立たない膝が笑う。もはやされるがままだった。

 たっぷりと時間を掛けてプロイセンの反応と口内を味わったイギリスが、ようやく唇をはなした。ぺろ、とだめ押しのように唇を舐められて、プロイセンは震えた。ようやくまともに息を吸い込むと、久しぶりの酸素のせいか視界が滲んだ。身長差が逆転して再び見下ろされる。イギリスが覗き込んでくる。
「へ た く そ」
 てらてらと濡れた唇を引き上げて、彼は美しく笑った。ぞっとするような、男娼の笑みで。ぼやけた視界には翡翠しか映らない。
「感じたか、チェリーボーイ?」
 足の間に膝を割り込ませて、ぐりぐりと中心を刺激してくる。そこはどうしようもないほどの反応を示していた。嘲笑(わら)う彼の眼。煌めくそこに獣の光を見て、プロイセンは逃げられないことを悟った。そもそも挑発に乗ってしまったのは自分だ。次にあたえられるのはこれ以上の悦にちがいない。…耐えられる自信はなかった。


 (酸素が、足らない)


はじめて書いた普受け話だったと、思います…^p^